2014年04月09日

最近、物事を考える時に注意していること

● そのことの「目的」・「理由」を考える。

● 広い視野で「俯瞰」し、「分類」上の何なのかを考える。

-----しっかりと理解するために、訳も分からず流されて人生を無駄にしないために

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2014年02月24日

生きていくうちの90%は辛いこと悲しいこと

やや長く生きてきて、この頃そんな気がしています。
棄民の福島県民だからなおさら。

でも、かといって、だから死んだほうがマシとは思いません。
残り10%の喜び、うれしさ、感動を堪能して、それを邪魔する不正に反抗して、まあマシな人生だったと思って死にたいと思います。
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2013年01月12日

幸せに生きる一つのヒント

2013年1月10日pm11:00〜11:30放送
フジテレビ 「オデッサの階段」第12回 武田双雲(書道家)
を観て良い内容だと思いました。番組がYouTubeに公開している部分映像を添えて、紹介します。

●武田双雲のルール

・(他人と自分に)丸をたくさんつける
・人を肯定する
・勝負しない(勝ち負けを気にしない)

●武田双雲のルールは、なぜこんなにも楽しく、やさしいのか?

高校の恩師: ご家庭の教育がまず根本にあると思う。肯定的に物事を捉えるということ。

父親: 「お前は天才だ」と言い続けた。人を肯定することを自分の言動で自然に教えた。長男(双雲)からお父さんもすごいよと言われたと話し、映像では途中で感極まり絶句。

母親: 自らの書道教室で子供達に丸をたくさんつけている。「自分にはありがたい子供ができた。幸せだ。そんな子を授けていただいて感謝です。」



前にも書きましたが、番組に触発された私は、
「どんな逆境にあっても、一人ぼっちで誰も認めてくれなくても、何の根拠がなくても、自分に自信を持つことが必要だ」 と番組とは関係ないようなことを、改めて思いました。
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2011年09月08日

ユートピア(理想国家)

3.11以後、この国の本当の姿を知ってしまったと思っています。3年前の記事で引用した書籍の内容の「社会」という部分を「国」「国家」と変えてみました。これから自分がどうすればいいか考えるヒントになるような気がして・・


〜「14歳の君へ」どう考えどう生きるか(池田晶子著 毎日新聞社)より〜  言葉を変えて引用


 自分が不自由なのを他人のせいにして,他人や国家を責めるのが,多くの大人のありようだ.自分のことがうまくゆかないのは他人のせいだ,国が悪い,とにかく国が悪いのだと思っている大人をよく見かけるね.だけど本当におかしいと思わないか.だって,国なんて,どこにも存在していないのだもの.
 国は一人一人の人間の集まりにすぎないのだから,一人一人の人間がよくなる以外に,国がよくなる方法なんかない.国をよくしたいと本当に思うなら,他人が悪いと責める前に,自分がよくならなければならないはずだ.そして,もしそんなふうにして,一人一人の人間がよくなったのなら,国家に規制や制約なんか,必要ないとわかるだろう.悪いことをする人がいない国に,法律なんか必要なはずがないよね.
 大勢の人間が集まって国というものを形成すると,その国というものは,確かにどうも悪い方向へと向かう.それで昔から人々は,ユートピア(理想国家)というものの形を思い描いてきたわけだが,でもこれはよく考えると,その発想の仕方がすでに間違っている.必要なのは,理想的な国家ではなくて,理想的な人間だ.国家を構成する一人一人が理想的な人間になる以外に,理想国家の実現なんか不可能だということに,どういうわけか,人間は気がつかないんだね.
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2010年11月03日

夢と現実の落とし所

ご無沙汰しました。

Y新聞でもっとも参考になることが書いてあるのは、「人生案内」です。
毎回、いろいろな回答者の方が、投稿者の悩みに答えています。
先日、載っていた内容を抜粋編集して紹介します。

相談者:30代男性
 あまりにも大き過ぎる夢を抱いてしまった。
 夢の実現のためには、想像を絶する努力が必要。
 胸の中にしまっておこうと思うが、せめて妻には打ち明けたい。しかし、笑われ大丈夫かと心配されそう。
 今のところ夢に関する小さな目標を立て、それを継続している。

回答者:精神科医 野村総一郎氏
 あなたは、小さな目標から大きな目標につなげると、半ば答えを出している。
 奥様には、まず小さな夢を打ち明けてはどうか?
 ぐっと夢に近づけた段階で、本当の夢を話せばよい。
 ただ、人生は夢と現実の落とし所を探る作業とも言えるわけで、各段階で撤退も常に視野に入れておくことも大事です。
 夢が何なのか最後まで書いてなかった。
 あなたの夢は何なのか。うーむ。気になります。
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2010年08月07日

ジョブズの伝説の卒業祝賀スピーチ

iPhoneやiPadでアップルが絶好調ですが、2年前ほどにインターネットで知った話を紹介します。古い話で恐縮です。
アップル・コンピュータ社の創業者の一人で現CEOのスティーブ・ジョブズ氏が2005年6月12日に米国スタンフォード大学で行った有名な卒業生への祝賀スピーチです。概略を以下にまとめました。
ネット上に映像や翻訳がまだあるようです。感動的ですので時間があるときに全文を聞いてみて下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=qQDBaTIjY3s
http://www.youtube.com/watch?v=ShoOOS2GrWU&feature=related

パート1:点をつなぐ
ジョブズ氏の母親は、未婚の大学院生だった。彼女は、赤ん坊が生まれたらすぐに彼を高い学歴をもつ弁護士の家庭に養子に出そうと決めていた。しかし、弁護士夫妻はやはり女の子が欲しいと言いだし、ジョブズ氏は急遽、学歴の低い現在の両親に引き取られることになった。
養父母は、実母の願いを受け入れてジョブズ氏を大学に進学させてくれた。しかし労働者階級の両親の収入はすべてジョブズ氏の通うカレッジの高額な学費に消えていった。その一方で何がやりたいかも分からなかった彼は、不安ではあったが家計を案じた結果、大学を6ヶ月で退学した。ただしその後1年間くらいは聴講生として、自分の興味のあるクラスを聴講した。
彼が半年だけ籍を置いたリード大学は、飾り文字については米国内最高水準を誇っていた。彼はただ自分の興味に任せて、聴講生としてこのクラスで勉強した。このことが、10年後美しいフォント機能を持った世界初のパソコンを生み出した。人生の各時点において、常に未来を先回りして点と点をつないで見ることはできない。できるのは過去を振り返って点をつなぐことだけだ。しかし、バラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ずつながると信じ、その時々を自分の心に忠実に、懸命に生きるべきである。

パート2:愛と敗北
20歳の時に友人と二人でガレージで始めたアップル社は、10年後、従業員4千人以上で売り上げ20億ドルの企業になった。自分たちが作り上げた最高の製品マッキントッシュの発売から1年後、30歳のジョブズ氏は驚くことに自分が創業したアップル社をクビになった。自分が雇った優秀な経営者たちとの意見の相違からだった。
数ヶ月はどうしたらよいかも分からなかったが、そんなひどい目にあってもまだ、自分のやっていた仕事がまだ好きだったので、また一から出直すことにした。
それから5年の内に、ジョブズ氏は、NeXTとピクサーという会社を作り、ピクサーは、世界で最も成功しているアニメーション・スタジオとなった。そして、素晴らしい女性と恋に落ち、結婚をした。思いがけず、アップルがNeXTを買収し、ジョブズ氏はアップルに復帰した。
どん底からまたはい上がれた唯一の理由は、自分のやっている仕事が好きだという気持ちがあったから。自分の好きなこと、自分が素晴らしいと信じる仕事をやれば、本当に心の底から満足を得られる。もし、まだそれが見つからなければ探し続けること。

パート3:死について
約1年前(2004年ごろ)に、ジョブズ氏はすい臓癌で長くて半年の命と一旦診断された。細胞を採取しての再検査の結果、すい臓癌としては非常に稀な腫瘍で、手術で直ることが分かり、手術の結果元気になった。
ジョブズ氏は、17歳のころから毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきた。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。
 時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないこと。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか自分が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っている。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

70年代半ばに絶版となった"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"という出版物の最終号の背表紙に書いてあった言葉を、卒業して新たな人生に踏み出す若者たちに贈る。
Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ、馬鹿であれ。)
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2010年04月18日

うれし涙と悔し涙

大分、更新に間があいてしまいました。そんな訳で、書き留めておいたメモは、バンクーバー・オリンピックまでさかのぼります。
古い話で恐縮ですが、この大会での浅田真央選手の姿から考えたことについて語りたいと思います。

日本選手の中で、本気で金メダルを獲りにいったのは彼女だけだったと、私は考えています。他のメダリストは、銀や銅で納得し、十分満足しているように見えました。
ライバルが喜ぶ脇で、涙を流して悔しがるあの感覚は、他の選手と明らかに違う。それは何からくるものなのか?
過去の実績? 浅田選手だって昨シーズンは苦渋を味わってきたはず。
トップになるんだという強い意志、これまでやってきたことへの自信?

その後の世界選手権で優勝しながらも、重くのしかかる採点競技の不公平さという問題、世界の中で日本という国が貢献に較べて軽んじられているという問題があるように思えますが、それは別の機会に残しておきます。

浅田選手から学べることを、私のような凡人にあてはめると、過去にも書いている以下のようなことではないかと思います。

何かに挑戦したり、何か新しいことを学んだりという「やる気」を起こすには、また、どんなに苦しく辛い状況でもくじけず努力し続けるためには、一番根本のところで、「自分自身に対する根拠のない自信」を持つことではないか、と思います。

不幸にも、もし一生芽がでなくても自分への尊厳、根拠がなくても自信だけは持ち続けたいものです。
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2010年01月05日

バリュー/ミッション/ストラテジー

年の始めなので、少し本質的なことを考えてみようと思いました。
参考書は、私が若い頃から大好きなブルーバックス・シリーズから。

「理系のための人生設計ガイド」
坪田一男 著 (講談社ブルーバックス)

この本は、「理系にも人生設計が必要だ」「理系の研究者も今使っているエネルギーの5%でもいいから文系の分野に使うべき」というスタンスで執筆されています。この内容は、著者自身の成功や同著者の10年前の著作から啓発されたiPS細胞の山中教授などの実績で裏付けされています。
文系が得意で理系が苦手な分野とは、人とのコミュニケーション、バランス感覚、営業や経営センス、流行トレンド、人やお金の管理などが例に挙げられています。
理系の学生や研究者を目指す人は、読んでおいて損のない書籍です。

ここでは、理系・文系や研究者などに関係なく、私のような一般人にも参考になる「(人生)設計2 自己分析編」の章を以下にまとめます。深い言葉が多くあります。
ミッションという言葉は、「7つの習慣」のうちの第2の習慣を連想しますが、7つの習慣ではミッション・ステートメントの決め方そのものについて、坪田氏の考え方ほど詳しく解説はしていません。第2の習慣を坪田氏のストラテジーに組み込んで、自分がもついろいろな役割(例えば,営業マン,経営者,研究者といった仕事上の役割や夫・妻,父・母,友人といった個人的な役割,政治活動,奉仕活動,ボランティアといった地域社会での役割など)に展開するのもよい方法かも知れません。

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○人生設計をするときにまず必要なのは、自己分析。現在をみつめ、将来につなげる。
○それには、「バリュー」「ミッション」「ストラテジー」を考える。
○「バリュー(価値)」とは
 自分が何に対して価値を感じ、何を最も大切だと思っているか。
 人に何と言われても譲れない、人生において最も大切にする感覚。人生設計を決めるベースとなるもの。
 この著者の場合は、「ごきげんに生きること」。イメージが湧かない人のためにバリューの例が挙げられています。この中から自分に近いものを選んでもよいそうです。
 人の役に立つ/誰かに尽くす/愛に生きる/子供を育てる/楽しいことを選択する/家族を一番に考える/約束を守る/人に好かれることをする/ビッグになる/新しいことを発見する/平和に暮らす/のんびり暮らす/他に誰もやっていないことをやる/人や社会に認められる/自分の好きなことしかやらない
○「ミッション(天命・使命)」とは
 自分がやりたいという以上に、神様にやれと命じられているくらいの必然性を感じる使命のこと。目標や夢といってもいいもの。将来の進路の決定などの岐路に立ったときに目指すべき方向。自分が求めている「心地よいこと(バリュー)」を充実させる上でのゴール。
 この著者の場合は「人の可能性を拓(ひら)く」。
基本的に、人は結局人生でやりたいことをすでにやっている。それが天命に他ならない。だから、いま自分がしていることをまとめたら、どういう言葉になるかを考えてみる。そのやっていることをミッション(天命)として認識しながらやるのか、ただ漠然とやるのかでは大きな違いが出てくる。
自分がしていることを統合できる言葉が思い浮かばなければ、やりたいと思っているすべてのことを統合する言葉でもよい。ミッションは、バリューと違って年齢・時期・フェーズ(段階,場面)・ポジション(立場,位置)によって変化するので現時点から10年後くらいを考えて設定してもよい。ただし、自分の可能性を狭めてしまうような「いま、できそうなこと」を選択しない。
○「ストラテジー(戦略)」とは
 見えてきたバリューとミッションを具現化するための道筋。自分が心地よいと思う環境(バリュー)の中で、目指す道を進む(ミッション)具体的方法。自分にとっての「TO DO リスト」とでもいうべきもの。
 この著者の場合は「世界一の眼科教室を作る」「後期研修医を育てる」「より多くの本を書く」の三つ。
ストラテジーを考える場合の手順は、(1)自分の理想像をイメージする。具体的な人物でもよい。(2)自分に必要なスキルを探す。(3)好きなことか得意なことのどちらかを選ぶ。これらが一致していない悩ましい場合は、よりよい生活を送るには「得意なこと」を前面に、人生を楽しむには「好きなこと」を前面に出す。バリューとミッションに立ち戻って考える。
○自分の「バリュー」「ミッション」「ストラテジー」を決め、「成功するストーリー」を描く。
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2009年03月15日

不毛な自分探しの旅

〜「14歳の君へ」どう考えどう生きるか(池田晶子著 毎日新聞社)を読んで(7)〜

テーマ「個性」より 抜粋(−−−以下は私のコメントです)

○「本当に好きなこと」「本当の自分」というのがどこかにあって,それを探さなくちゃいけないのだと,最近は大人から思い込んでいる.これは大間違いだ.だって,何かが好きだけど,それが本当に好きなのかどうか,どうして自分でわかるのだろう.(中略)その時は好きだったけど,いまは好きではないというのは,本当に好きではないということだ.でも本当に好きなものが,きっとどこかにあるに違いないと探し続けて,結局何が好きだったのかわからずに終わる人生というのは,何だか空しい人生じゃないかな.たくさんの若者や大人が落ち込んでいる「自分探し」というのは,こういう不毛なものなんだ.
○自分らしくありたいけれど,その自分が「ない」と思うから,君は自分を探すのだったね.だけど,その自分は「ある」のでなければ,どうして君は自分を探すことができるだろう.どこかへ探しに行かなくたって,自分は,いま,ここに,確実に存在しているじゃないか.
○あれやこれやの自分探しの空しさに気がついて,そんなことをやめた君は,その時にこそ,本当に個性的な人になるだろう.何が好きとか,他人からどう見られるかとか,そういうことが自分なのじゃない.「本当の自分」は,そういうことに関係なく,今ここにあることだ.そうわかった君は,そういうことに惑わされることなく,自分がそうである仕方で,自分であるようになるだろう.自分でどうこうしようとしなくても,自(おの)ずからその人は,その人がその人であるところの人になる.そういう「自分」が,すべての人には必ずあるんだ.それが本当の意味での「個性」なんだ.「自(みずか)ら」ということと「自(おの)ずから」ということは違うことだ.「自ら」は,自分の意図でどうこうしようとすることで,「自ずから」は,自分の意図によらずに自然にそういうふうになることだ.君は,自ずから,そうなる人になればいい.自らなろうとなんかしなくていい.そしたら君は,必ず個性的な人になる.

−−−
個性的になりたいとか,自分らしくありたいということだけは,考えなくていいということでしょうか.他人の迷惑にならない範囲で,自然体で生きる.他人を羨む必要もないし,他人に迎合してやりたくないことをする必要もない.自分の気持ちに正直に,ただし向上心は忘れずに.
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2009年03月09日

プロセスと結果

TVか何かで,結果よりもプロセスが大事だ,というようなことを聞きました.そのソースが,誰かのインタビューだったのか,何だったのかは歳のせいで覚えていません.ただ直感的に「そうだよなぁ」と思ったのだけは覚えています.
勿論,結果を得るために何かを行っている状態が過程なのですが,その過程こそが大事とは?

(1)努力なしでも運良くうまくいった.そこそこうれしい.宝くじが当たったようなもの.
(2)努力して大成功を収めた.これは飛び上がるほどうれしい.生きていてよかったー.
(3)血のにじむような努力も空しく,失敗に終わった.くやしい.しかし,できるだけのことはやったという満足感はある.気を取り直して再挑戦してみようか,今度は別の道を模索してみようか.
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2009年01月18日

頑張るコツ

次の新聞コラムに,激しく心惹かれてしまいました.書いているのは精神科医である大学の先生です.
参考:2009年1月9日付 毎日新聞 コラム「春日武彦の心察室」頑張ること

私は,このコラムの頑張るということを,勝手に「向上心またはやる気を起こし,夢または目標に向かって努力する」と理解しました.
このコラムで,先生自身については以下のように言っています.

『頑張るなんて実は簡単なことだと思っている.充実感や満足感が伴うのだから,頑張ることは清々(すがすが)しいことであり,こんな楽しいことはない.』

また,楽天性について

『人間にはどこか楽天的な部分が必要なのである.きっと上手く行くさ,努力が無駄になる筈なんかないじゃないか,といった具合に.おそらく宗教の役割には,そのような楽天性を提供するといった働きがあることだろう.』

しかし,精神科医として多くの悲惨な患者さんを診ているのでしょうか,以下のように最後は厳しく締めくくっています.

『そのような楽天性は,やはり成功体験の多い人ほど持ちやすいといったことは言えるだろう.逆に,失敗続きの人は,楽天性をなかなか持てないがゆえに,頑張ることが難しくなりやすい.すなわち,人生がスムーズに行っている人は頑張ることも得意となり,人生が裏目に出てばかりいると頑張る意欲も失せてしまう.
世の中を冷静に眺めると,「弱り目に祟(たた)り目」といった成句をつくづく実感させられる.』


この終わり方では,辛すぎます.私は,自分では偉そうなことは言えませんので,楽天居士というキャラクタに以下に語ってもらいます.

●頑張ることを阻害する要因と楽天居士の言い分

・自分は頑張る必要がないと思っている.残りの人生,今更苦労しても仕方がない.後は惰性で流されて漂っていけばいいさ.
 (それで本当にいいんですか.もう二度と人生を繰り返すことはできないんですよ.充実した人生を送り,幸せを感じて生ききるには,誰でも,よく考えそして頑張る必要があります.何も考えないことは一番良くありません.)

・どう頑張ったらよいのか分からない
 (まずは簡単なことから,小さな成功体験を積んでみたらどうでしょう.)

・これまで失敗続きだったから,頑張ればそれに応じた成果が得られるという確信を持てない.
何かやろうと思っても,それが無駄で無意味なことではないかという不安やためらいがある.
 (失敗してもいいじゃないですか,自分で満足できれば.頑張った結果がダメであっても,決して前より悪くなったとは感じないですよ.そして誰かが評価してくれるかも知れません.結果ではなく,プロセスを楽しみましょう.)
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2009年01月10日

人はどう生きれば幸せか

明けましておめでとうございます.本年も皆様にとって良いお年でありますようお祈り申し上げます.

新年最初の書き込みなので,大きな命題をブチ上げました.

人は誰もがみんな幸せになりたいと思って生きています.理想に近づけるかどうかは別として,本来こうすれば幸せに生きられるということはわかっていた方がよい,と思います.残念ながら私は,自分では頭でわかっているつもりでも,とてもとてもできていませんが・・・

最近,読んだ下記書籍は,私にとって,「7つの習慣」,池田晶子さんの著作に匹敵する重要な本であると感じています.この本を読む以前から,私は,人が生きてゆく上で「向上心」というのがキーワードである,と考えていました.この本には別の言葉でさらに明確にズバリと書いてあります.その根本の考え方は,はじめがきに示してありますので,その部分を中心に,以下に箇条書きにまとめます.これ以外の参考になった部分は追々ご紹介したいと思います.私は知らなかったのですが,著者はPHP研究所の社長で,松下幸之助氏の側近として23年間仕え,松下哲学継承者として高く評価されているそうです.参考になるエピソードも多くでてきます.

参考:「ほんとうの生き方」 江口克彦 著  PHP研究所

・ライオン,犬,猫,牛,馬など動物は,生まれて食べて生き続けて死んでいく.
・誤解を恐れず言えば,知恵や経験を蓄積し,文化や文明を成長発展させてきたという点で,人間はそれら動物とは決定的に違う.
・だから,動物と同じようにただ本能のままに何も考えずに生きるだけでは,まずいのではないか.
・では,人はどう生きるべきか.
・自己の向上を図る.今よりもさらに一段高い境地になるために主体的に考え,努力し,行動する.そのために死ぬまで努力を続ける.
・人生は,二度とやり直しのできない一本道を歩き続けること.死ぬ間際もっとこうしたかったと後悔するような人生にすべきではない.
・死ぬときに自分の生涯を振り返って「よく頑張ったな,充実した人生だったな」と思える人生にすべき.
・満足して死を迎えられるよう,今のこの一瞬一瞬の日々を大切に過ごしていく.
・努力の結果,自己の向上に加えて,社会または周りの人間への何らかの貢献ができるのであればさらに望ましい.
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2008年12月27日

やる気の秘密

半分マンガの本を買いました。ページ数と文字が少ない割りには、ちょっと高いなと思いましたが、幻冬舎さんだから仕方ないかーとも思いました。(どういう意味かはわかりません)

のうだま―やる気の秘密 上大岡トメ&池谷裕二 著

何かをやろうと決心したときに、三日坊主で終わらせないための方法を、最新脳科学から考えるとこうなるという本です。

理論的には以下のようになっているそうです。
・もともと脳には大切な機能として、飽きるという性質がある。
・やる気は頭部の真ん中にある淡蒼球(たんそうきゅう)が司っている。(これをマンガでは、のうだまと呼んでいます。)
・淡蒼球は、自分の意志では動かせない。
・淡蒼球を、動かすには以下の4つの方法がある。
・Body:カラダを動かす。
・Expwrience:いつもと違うことをする。
・Reward:ごほうびを与える。
・Ideomoter:なりきる。

具体的な方法は、書籍を参考にして下さい。これで三日坊主が直るかどうかは、何とも言えません。中に書いてあったマンガチックな計画表に、達成率などを独自に組み込んだものを作りました(PDF形式)ので、アップいたします。本を読んで興味を持たれた方のお役に立てば幸いです。ダウンロードは、次のリンクから。のうだま計画表

ところで、大きな問題が見つかりました。この本で扱っている「やる気」のもう一つ前の段階でどうするか? つまりこの本では、飽きてしまって三日坊主で終わらせない方法を説いているのですが、そもそも何もやる気が起きていない人間はどうするか? 持続させる以前の段階の場合は、対処のしようがないのです。向上心がなく、何も問題を感じていない人には、のうだま理論は、猫に小判、馬の耳に念仏、豚に真珠、犬に論語。こちらも考えなくては・・・
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2008年12月21日

ブログは現代ふう自己顕示の典型

〜「14歳の君へ」どう考えどう生きるか(池田晶子著 毎日新聞社)を読んで(6)〜

テーマ「個性」より 抜粋(−−−以下は私のコメントです)

 最近は誰もがネットで交流しているけど、あの「ブログ」というのが、現代ふう自己顕示の典型だね。お互いにいっせいに、「私は」「俺は」と、誰だか知れない誰かに向かって主張している。誰でもいいからとにかく他人に認めてほしい。他人に認められなければ、自分を自分と認められないんだ。他人がいなければ、自分であることができないんだ。だとしたら、いったいどこが「自分らしい」ことなんだろう。他人の中に消えてしまって、その人の「自分」なんか、どこにもないじゃないか。

−−−−とても刺激的なフレーズを見つけました。テーマの議論の中の一例として挙げられているのですが、面白いのでこの部分だけを切り取ってみました。
 ブログの意義とは何だろうか。確かに昔ながらの日記ならば、不特定多数の人へ公開する必要はありません。でも、自己顕示しているだけ、と切り捨てては身も蓋もないような気がします。

少なくとも私にとっては、
・他人にもわかって貰えるように考えをまとめることで、自分の理解も深まる。
・気持ち・考えを吐き出すことにより、自己満足または心のバランスを保つ。(これがつまり自己顕示か?)
という効果があるように思います。何か読んだり見たり聞いたりして、感心しても感動しても、そのままでは忘れてしまいます。その時感じたことを、記録しておく。自分で後で見るためだけよりは、他の人にも見て貰えるかも知れないと思ってよくよく考えます。勿論、他人に認められないよりは、認めてもらった方がいいに決まっていますが・・・
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2008年11月22日

憎しみで苦しまない方法

〜「14歳の君へ」どう考えどう生きるか(池田晶子著 毎日新聞社)を読んで(5)〜

テーマ「友愛」より すべて抜粋(−−−以下は私のコメントです)

 じゃあ、どうしても嫌いな人に、君はどういう態度をとればいいだろう。
 君は、こうすることができる。嫌いなものは嫌いだ。これはもうどうしようもない。そして嫌いなものはそこにある。これもどうしようもない。だからそのことを自分で認めてしまうんだ。そして、それ以上そのことにこだわらないことだ。そうすれば、嫌いなものは嫌いで、ほうっておくことができる。ピーマンさん、あなたがこの世に存在することは認めるけれど、あいにく私はあなたが嫌いです。だから私はあなたを食べませんって具合にね。
 嫌いなものを無理に好きになろうとするのは、好き嫌いにこだわるまいとして、逆に好き嫌いにこだわっているんだ。でも、好き嫌いは好き嫌いとして、どうしても存在する。それなら、それはそれとして認めてこだわらないこと、これが「愛」というものなんだ。
 君は意外だろう。嫌いが嫌いで愛だなんて、変だと思うだろう。愛というのは好きというのと同じことだと思っていただろう。だけど、愛と好きとは違うんだ。愛は感情じゃない。愛は、好き嫌いを超えたもの、それがそこに存在することを認めるということだ。受け容(い)れるということだ。ピーマンが嫌いでも、ピーマンが存在することは認める。あの人は嫌いだけど、あの人が存在することは受け容れる。そうすれば、嫌いという感情を持ちながらも、愛することができる。その人の存在を拒まずに受け容れることができるんだ。
 むろんこれができるようになるのは、とても大変なことだ。でも、誰かの存在を拒んでいる自分、誰かを憎んでいる自分て、すごく苦しいものだよね。憎しみで苦しみたくないのなら、君は、愛するしかないんだ。

−−−−−でも、この忘れたいピーマンが自分の背中につけられた棒の先からひもで吊されて目の前にぶら下がっている。こんなときは、どうすりゃいいんだろう。気になったら頭を離れない、目の上のたんこぶ。そんな場合が多いかもしれません。
ナントカ原理主義は、嫌いという感情が抑えきれずにテロ行為に走ってしまう。報復にクラスター爆弾で叩きのめす。つい話が大きくなってしまいました。
どこかで聞いたことがあったような気がしますが、「愛」とはそういうものだったのですね。
・・・「愛」とはすべてを受け容れること。
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2008年11月09日

人に嫌われても傷つかない方法

〜「14歳の君へ」どう考えどう生きるか(池田晶子著 毎日新聞社)を読んで(4)〜

テーマ「友愛」より すべて抜粋(−−−以下は私のコメントです)


どうして人は、人に好かれることが好きで、嫌われることが嫌いなのか。好きだと言われれば、嬉しくて幸せな気分になり、嫌いだと言われると、傷ついて悲しくなるのはどうしてなのか。

人に嫌われたくない、好かれたいと思うのは、人に認められたいと思うからだ。人に自分を認められたいと思うのは、自分で自分を認めていないからだ。認めていない、認められない。つまり自分に自信がないからだ。

人に好かれようとするよりも、人を好きになる方が、断然面白いことだと思わないか。

好きになっても、嫌われたら悲しいって?
かまわないじゃないか。もし君が自分で自分を認めていて、本当の自分に自信があるのなら、嫌われたって傷つかないはずだ。

人に好かれようとするよりも、人を好きになるようにしよう。こう気持ちを切り換えてごらん。自分に自信がない君も、それだけで何だか自信がわいてくるんじゃないかな。だって、人に好かれることは、自分じゃどうもできないことだけど、人を好きになることなら、自分でできることだからね。

むろん、嫌われることもあるかもしれない。これは当然のことだ。君を好きな人と同じ数だけ、君を嫌いな人がいる。そう思っていれば、間違いないだろう。

人は必ず、優しくて、ウソをつかない人を友達にしたいと思うはずだ。
もし君が、人に好かれたい、友達がたくさん欲しいと思うなら、そういう人になるしかない。優しいフリをして好かれようとしたってダメだ。だってそれは、ウソをついていることになるからだ。

ウソでなくて、本当の君が、優しくて正直な人なのでなければ、君は本当に人に好かれて、たくさんの友達をもつことはできないんだ。

優しいフリをしているだけのウソつき人だったら、もし友達が困ったときに、助けてくれたりしないだろう。

友達の真価は、困ったときにこそわかるものなんだ。

君たちはまだ子供で、心底困ることや大変なことに出合うことは少ない。だから友達には、その場の楽しさや、淋しさの解消しか求めてはいないだろう。本当の友情のありがたさと素晴らしさがわかるのは、これからだ。

−−−−当たり前と思っていることを、本質から深く掘り起こして考えるのが哲学ということですね。自分を信じ続け、次から次へと押し寄せる苦難に立ち向かう。そして、周りの人々には優しく。簡単そうでなかなかできません。
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2008年10月25日

「社会」なんてどこにもない

〜「14歳の君へ」どう考えどう生きるか(池田晶子著 毎日新聞社)を読んで(3)〜

テーマ「社会」より抜粋(−−−以下は私のコメントです)

・・・・
君だって,もう感じていることだろう.自分と,自分以外の人間の間には,必ず何かの関係が生じるということを.それは,上下関係だったり,利害関係だったり,もっと微妙な感情の関係だったりする.複数の人間が集まると,そこには必ず「関係」が生じる.それを「社会」と言ってもいい.
(中略)
 社会に出れば,人間関係がわずらわしいだけじゃない.さまざまな規則があり,制約があり,自分の好きなことが思うようにできない.自由じゃない.
 だけど自由じゃないからといって,社会から抜けるわけにはゆかない.仕事して,お金を稼いで,生活しなければならないからだ.
(中略)
 自分が不自由なのを他人のせいにして,他人や社会を責めるのが,多くの大人のありようだ.自分のことがうまくゆかないのは他人のせいだ,社会が悪い,とにかく社会が悪いのだと思っている大人をよく見かけるね.だけど本当におかしいと思わないか.だって,社会なんて,どこにも存在していないのだもの.
 社会は一人一人の人間の集まりにすぎないのだから,一人一人の人間がよくなる以外に,社会がよくなる方法なんかない.社会をよくしたいと本当に思うなら,他人が悪いと責める前に,自分がよくならなければならないはずだ.そして,もしそんなふうにして,一人一人の人間がよくなったのなら,社会に規制や制約なんか,必要ないとわかるだろう.悪いことをする人がいない社会に,法律なんか必要なはずがないよね.
 大勢の人間が集まって社会というものを形成すると,その社会というものは,確かにどうも悪い方向へと向かう.それで昔から人々は,ユートピア(理想社会)というものの形を思い描いてきたわけだが,でもこれはよく考えると,その発想の仕方がすでに間違っている.必要なのは,理想的な社会ではなくて,理想的な人間だ.社会を構成する一人一人が理想的な人間になる以外に,理想社会の実現なんか不可能だということに,どういうわけか,人間は気がつかないんだね.

−−−−−−自分なりに考えをまとめるのに時間がかかりました.著者は,(社会で)生きるか生きないかは自分の自由だといっているのですが,そこがまだ理解できていません.ホームレス? 天命を全うしないで構わない? とにかく,当たり障りなく,私なりのまとめは次のようにしました.

○「社会」は一人一人の人間の集まりにすぎない.
 「社会」を,自分とは関係のない自分の自由を奪う別物と考えるな.
○人として生きるにはその集まりの中で生きていくしかない.
 仕事をして,お金を稼いで,生活しなければならない.
○善人,悪人,その中間,いろいろな人間が集まっているのが「社会」.
 社会には,善人ばかりがいる訳でないので,規制や制約が必要になる.
○社会をよくするには,社会を構成する一人一人がよくならなければならない.
 その第一歩は,その一員である自分から.
○特別な追加項目
 勿論(私のような)末端の一人一人も大事だけれど,社会をリードする人や人を育てる教育には,さらに大きな責任があることを忘れてはならない.
  
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2008年10月13日

持つべきなのは「意見」でなく「考え」

〜「14歳の君へ」どう考えどう生きるか(池田晶子著 毎日新聞社)を読んで(2)〜

テーマ「意見」より抜粋(−−−以下は私のコメントです)

 自分が正しいと思っていることを、正しくないと他人に言われて腹が立つのは、それが、ただ自分で正しいと思っているだけのことだからだ。ただ自分で正しいと思っているだけで、本当に正しいことではないからだ。  (中略)
 「本当に正しい」ということは、誰にとっても正しいということだ。人は、それぞれ全部が違う人だ。それぞれの好き嫌い、立場や都合は全部違う。なのに、その全部が違う全部の人が、それぞれの立場や都合や好き嫌いから、「自分はこう思っている」「だからそれが正しい」と言い合ったって、お互いに腹が立つばかりで、本当に正しいことはわからない。だから人は、自分の立場や都合や好き嫌いとは関係のない、「本当に正しいこと」、誰にとっても正しいことを、考えて知らなければならないんだ。  (中略)
 自分が思っているだけのものを「意見」と呼ぶとすると、君が持たなければならないのは「意見」ではなくて「考え」だ。「自分が思っているだけの自分の意見」ではなくて、「誰にとっても正しい本当の考え」だ。「考え」は、ただ自分が思っていることとは違う。自分が思っていることは本当に正しいか、誰にとっても正しいか、これを自分で考えてゆく、このことによってしか知られない。「思う」ことと「考える」ことは、全然違うことなんだ。君は、ただ自分が思っているだけのことを意見として言う前に、それが誰にとっても正しいかを、必ず考えなければならないんだ。  (中略)
 だからこそ君は、意見なんてものを持つべきではない。「自分の意見」を主張してはならない。君がしなければならないのは、(中略)自分の立場や都合を超えた、誰にとっても正しい考えを、自分で考えて知ることだけなんだ。  (中略)
 「自分が思っているだけの自分の意見」と、「誰にとっても正しい考え」、この違いがどうしてわかるのか、疑問に思うかもしれない。  (中略)
 その意見が出てくる前提を疑って、考えてみる。そうすると、そこに、その人自身が気づいていない前提があるのを見つけるだろう。なるほどこれが間違っているから、出てくる意見が間違っているなと、わかるだろう。そうやって、前提の前提、そのまた前提までさかのぼって考え、君はやがて、それ以上さかのぼれない前提、それ以上疑えない考えに、必ず到達するはずだ。これこそが、誰が考えてもこれ以上疑えない、誰にとっても正しい考えであるはずだ。  (中略)
 自分が思うのだから正しいと主張されるだけの意見には、それが正しいかどうか疑われ考えられていない前提が、たくさん隠れている。君は、そのひとつひとつを見つけ出し、吟味し、考えぬいて、正しい考えを手に入れなければならない。それで正しいか、誰が考えてもそうなるのか、考えに考えた末に、よし、これで正しい。確信して、そのときはじめて、他人にそれを言うことにしよう。思っているだけのことを考えもせずに言うのはやめよう。

 −−− 「考える」これが哲学の神髄なのだとわかりました。でも実際問題、自分は熟考して「考え」を持つことができても、自分の都合だけの「意見」をぶつけられて、かつ、対処しなければならない場合、どうすればよいのでしょうか。降りかかる火の粉をどうするかです。世の中は平穏に過ごさせてくれないことが間々あります。この本では触れられていません。自分として最高に考えぬいて、相手を説得する。程度問題でどこで線引きすべきかは難しいですが、それでも相容れなければ、毅然と戦うべきだと私は思います。
 また、この本では、中学校のホームルームを例にしています。とんでもない。一番悪い例は、どこかの国の指導者達ではないでしょうか。世界という大きなレベルで「考え」てもいないし、何をされても、言うこともしません。たまに意思表示をしたときには、自分の都合だけで、世界に先駆けて真っ先に戦争を支持してしまう始末です。この国の今のリーダーも、大丈夫でしょうか。危険を感じています。
ラベル:教育
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2008年10月04日

人は皆自分が幸せになることを願っている

〜「14歳の君へ」どう考えどう生きるか(池田晶子著 毎日新聞社)を読んで(1)〜

考えさせられた本なので,注目したい内容を抜粋しつつ,哲学シリーズ(?)として感想を述べていきたいと思います.哲学といっても,哲学者が中学生新聞に連載したものですので,敬遠しなくても結構です.

はじめがきより(抜粋 −−−以下は私のコメントです)

・・・・
 だって,学校では下手をすればいじめられるし,家へ帰れば勉強しろと言われるばかり,ニュースなんか見る限り,世の中は殺人と戦争と金もうけばかりだ.こんな世の中で,これから生きてゆくことに,どんな意味がある.生き残るためには,まるで殺し合いと金もうけしかないみたいじゃないか.未来への希望を語れなんて言われたって,空々しくて,とても言えたもんじゃない.
 ああ,困ったものだ.本当に困ったものだ.じつは世界中の大人たちもみんな困っているんだ.どうすればいいのかわからなくてね.そんな困った大人の社会で,これからイヤでも生きてゆかなければならない君は,さあ,どうやって生きてゆけばいいのだろう.
 (中略)
 人が生きてゆくのは,よい人生を生きるためだ.自分にとってのよい人生,幸福な人生を生きることが,すべての人の人生の目的だ.悪い人生,不幸な人生を生きたいと願う人はいない.すべての人は,よい人生を生きることを願っている.それなら,人は,悪い心でよい人生を生きることはできるだろうか.人をだましたり,人を蹴落としたりしながら生きてゆく人が,よい人生,幸福な人生を生きていると君は思うかい?
 (中略)
悪い心になってまで生きなければならない理由なんか,本当はないんだ.このことに気がつくのが怖いから,世のほとんどの大人たちは,適当に悪いことをしながら,悪いことをしている自分をごまかしながら,なんとなく生きてゆくことになっている.
・・・・
     −−−人は皆,自分が幸せになることを願っている.それは当然だ.しかし,その目的のためには,手段を選ばないという人がいる.社会で生きていく内には,そんな人に出くわし,辛酸を舐めさせられることも一度や二度ではないかもしれない.人の悪意により不幸のどん底に落とされることもあるだろう.悪意は無くとも,それはそれでまた問題なのだが,気付かずに人を不幸にしていることもある.人によらなくても病気などで,自分が悪くなくても苦しい毎日を強いられることもある.そんなときでもに,自暴自棄にならずに,じっと耐えて再起をめざせるような強い人間になるには?
 人生で楽しいことと辛いこと,はかりにかけたら,普通に生きている人でもちょっと辛いことの方が多いかもしれない.それでもめげずに,前向きに生きていく処方箋はあるのでしょうか?
また,自分の幸福のために,他人を犠牲にしないですむ,いい方法はあるのでしょうか?
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2008年09月27日

ときどき立ち止まって考えよう

車を運転中に,思い浮かびました.言い訳なんですが,運転中なんで,あまり難しいことは考えていないんです.

誰かさんは,庶民と違ってできるそうですが(とまた悪口が・・),ときどき自分の姿を客観的に見つめることは必要です.これで,このままで,自分はいいのだろうか?と.立ち止まって,一歩外側から自分を見つめ直す.
もし,良くないと思うなら反省してそれを少しでも直す努力が必要です.何でもスイスイ行くなんてことは稀なことですから,反省するのは当たり前.
問題なのは,その問題意識をまったく持たないで,貴重な毎日を何も考えずに,ただいたずらに過ごしていくことです.反省なくして成長なし.
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